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東京地方裁判所 昭和52年(刑わ)4208号 判決

主文

被告人福田狂介、同平田雅弘をいずれも懲役三年に、被告人亀卦川清を懲役一年六月に、各処する。

この裁判確定の日から、被告人福田及び被告人平田に対しいずれも五年間、被告人亀卦川に対し二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

被告人中村嘉幸は無罪。

本件公訴事実中商法違反(昭和五二年一二月二四日付起訴状記載の事実)の点につき、被告人福田狂介は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一  本件犯行に至る経緯

一  被告人らの経歴

被告人福田狂介は、昭和三〇年三月頃法政大学卒業後父親の右翼活動家福田素顕が発行していた防共新聞の編集手伝い等をし、同三四年頃には大日本愛国党に入党し、同三五年二月には安保改定阻止国民会議の諸団体による集団行進が行われるに際し、同党所属の小型四輪宣伝用貨物自動車を運転して、右集団行進中の人々の列中に突込むなどの行動をなし、これにより同三七年一一月公務執行妨害などの罪名で懲役八月の実刑に処せられたりした後、同四六年一一月父素顕死亡後は防共新聞社社長として同新聞の発行に従事し、同社社長及び亜細亜学会総裁の名称のもとに、各企業等から購読料若くは賛助金名下に年間約八〇〇万円の収入を得ていたものであるが、その傍、同四二年三月頃、株式会社大丸から、同社東京支店の八階和洋食堂洋食部・喫茶部及び中山競馬場内の大丸食堂二店舗と府中競馬場内の同食堂一店舗の調理調整の委託を受けて営業している八重州食品株式会社(以下単に八重州食品という。)の代表取締役に就任し、同社の経営に従事していたものである。なお、同被告人の実兄福田進は、同三〇年頃右翼政治結社防共挺身隊を興してその隊長となり、同四五年頃から躍進ニツポンという週刊出版物を発行している。

被告人平田雅弘は、明治大学二部を退学後、区役所、日本証券新聞社に勤務した後、昭和二九年初め頃退職し、神明木村一家(現在の住吉連合音羽一家総長)木村秀二の子分となり組織暴力の世界に入つたが、同四〇年頃、総会屋である谷口勝一の主宰する谷口経済研究所に入り、同人が株付けしている企業約二〇〇社からの賛助金の集金に従事していたものであるが、その傍同四八年二月頃から東京都中央区銀座八丁目五番二一号かわばたビル内において、クラブ雅らんを経営していたものである。

被告人亀卦川清は、昭和二一年九月警視庁の警察官となり同二五年一〇月まで戸塚警察署に勤務していたが退職し、総会屋亀卦川紀夫の下で働くうち、同人の次女明代と結婚すると共に亀卦川紀夫の養子となつたが、同三〇年一一月養父死亡後、自らも総会屋として独立し、同区日本橋二―一〇―一一織正ビルに不二経済研究所の看板を掲げたものであつて、いわゆる幹事総会屋となつている会社は株式会社東京相互銀行(以下東京相互銀行と略称する)など約二〇社を数え、守りの総会屋としての定評を得ており、自ら五指に数えられることを自認するいわゆる大物総会屋である。

二  被告人ら相互の関係

被告人福田は埼玉銀行東京支店に当座取引を申込んで断られたことから、同四九年夏頃同銀行に対し、三〇〇〇株の株式を一〇人に分割するよう、いわゆる株式の分割要求をした。被告人亀卦川は同銀行の幹事総会屋であつたところから、日頃親しく交際していた福田進を介して、被告人福田に対し右分割請求を取り下げるよう交渉したところ、同被告人はこれに応じた。そこで被告人亀卦川は同銀行と交渉して、被告人福田のために一回三万円の賛助金を年二回支払わせることとした。

被告人福田は、昭和四八年一月頃、三宅道久から、同人が銀座八丁目で経営しているクラブ吉見を巡つて被告人平田と紛争が生じているので、同人のために同被告人と交渉して貰いたい旨の依頼を受けたことから被告人平田を知るようになつたのであるが、以後同被告人の依頼で金銭や小切手を同被告人に貸すようになり、同四九年春頃には被告人平田に対する債権総額は約一〇〇〇万円に達していた。更に、被告人平田は、同年六月頃から頻繁に八重州食品の事務所を訪れ、小切手を借り受けていた。

被告人亀卦川は、前記木村秀二と交際があつたことから、同人の輩下である被告人平田を知るようになり、互に「平ちやん」「社長」と呼びあつて、総会屋としての情報交換をするなど、親しく交際していた。

三  東京相互銀行と被告人らとの関係

被告人平田雅弘は、前記三宅道久の経営にかかるソワール化成興業株式会社がクラブ吉見の営業のために東京相互銀行銀座支店に開設していた当座預金口座について、同人との間に、小切手の振出は同人と被告人平田の合意の上でのみすることを約し、これを実効あらしめるため、小切手帳を同被告人が所持し、銀行取引用印鑑を三宅が保管することとし、これを同支店にも通告していたところ、三宅が右の約旨に反して単独で小切手を振出したことから銀座支店の落度を責め、昭和四八年三月九日、右クラブ吉見を改めた前記クラブ雅らんの運転資金として、同支店より二〇〇〇万円の融資を受けることに成功し、引き続き当座預金口座を開設したが、自己の振出した小切手の決済に当り、同支店をして度重なる看做しや他店券過振りの取扱いを余儀なくさせ、また右二〇〇〇万円の返済も滞らせており、行員が入金のない手形類を不渡返還しようとしたりすると、「俺が今まで持つて来いといわれて持つて来なかつたことがあるか」「総会でいためつけてやる」などと怒鳴りつけるので、不良取引先として同支店従業員から恐れられていた。なお、被告人平田が右他店券過振りに際し、いわゆる見合他券として差し入れるのは、殆んどが被告人福田から借りた八重州食品振出しの小切手であつた。

被告人福田は、前記のとおり、八重州食品の経営に従事していたが、『同被告人が代表取締役に就任した当時、八重州食品の赤字は約六〇〇〇万円にのぼつており、その後も経営は好転せず、同四四年八月頃八重州食品は不渡を出して倒産するに至つた。百貨店出入り業者が不渡りを出したのであるから、営業は継続出来なくなるのが一般であるところ、前記福田進らの力添えがあつて八重州食品は大丸百貨店において引続き営業できることとなり、債務を棚上げして再出発したのであるが、』被告人福田は、被告人平田をはじめ自己の知人に金員を貸付け、昭和四九年春頃には、その総額が約八〇〇〇万円にのぼるに至つた。被告人福田は右貸金の原資の多くを高利金融業者から借入れていたうえ、貸付金の多くが焦付いたため、金融業者への返済に追われるようになり、本件犯行の発生した昭和四九年一〇月当時には高利の債務は約五〇〇〇万円に達していた。被告人福田は、手形小切手を振出して借金の支払に充て、その期日にはまた新しい手形等を振出して期日の延期(ジヤンプ)を求めたり、これが割引金で前の手形を決済したりする操作をしていたが、債務が増えるにつれてその操作が忙しくなり、昭和四九年二月には常陽銀行東京支店に開設していた同被告人個人名義の当座預金口座で不渡りを出し、銀行取引停止処分を受けるに至つた。そこで、被告人福田は、大丸からの入金と八重州食品の支払関係のために利用していた徳陽相互銀行新宿支店の八重州食品の当座預金口座と区別して、港信用金庫三光町支店の八重州食品の口座を自己の資金繰りに利用していたが、かかる資金操作には個人名義の当座を利用するに如かずと考え、同年四月頃被告人平田の紹介で東京相互銀行銀座支店に対し、八重州食品の従業員である重井博幸名義の当座開設を依頼したが、これは同支店において調査の結果拒絶された。被告人福田は八重州食品振出名義の手形類を不渡りにして八重州食品を倒産させることを極度に恐れていたところ、被告人平田から、同被告人が東京相互銀行銀座支店において、現金の代わりに小切手を持参して入金を待つて貰う扱い(過振り)を受けていることを聞き、自分も同支店において同様の扱いを受けたいと思うに至り、同年一〇月初め頃、被告人亀卦川の事務所を訪れ、八重州食品で当座を開きたいので銀行を紹介して欲しいと依頼した。

被告人亀卦川は、昭和四五年頃から、東京相互銀行の株主総会の司会などをして同総会をとりしきり、総会荒しから防衛することを仕事とするいわゆる幹事総会屋をしていたものであるが、被告人福田の右依頼を受けて、同四九年一〇月一四日頃、東京都豊島区東池袋一丁目二九番一号所在の同相互銀行本店に同銀行総務部長石田義雄を訪ね、同人から、同銀行銀座支店長である中村嘉幸に紹介の電話をして貰つた上で更に同都中央区銀座六丁目六番九号所在の同銀行銀座支店を訪れ、中村に面談して、自己の知人で大丸デパートに食堂を出している者に融資して貰いたい旨依頼した。中村は、既に被告人平田から、同被告人が過振りの見合他券として持込んでくる小切手の振出人である八重州食品の代表取締役福田恭介について、大丸デパートで食堂を経営している者であり、かつ防共挺身隊の関係者である旨を聞知していたので、被告人亀卦川にその旨を告げ、同被告人の依頼者が被告人福田であることを確認し、取引先として好ましい人物ではないと思つたが、一応本人と面接した上で結論を出す旨回答し、その後右石田に電話して、被告人亀卦川との会談の内容を報告したところ、石田は防共挺身隊が後述する富士エースゴルフ場の問題を躍進ニツポンの記事にしていることを告げ、一方でかかる記事を書きながら、他方で融資の申込をするとはとんでもないと、感想を述べた。

四  東京相互銀行と福田進の関係

『東京相互銀行総務部調査役の山本芳太郎は、昭和四七年八月頃、福田進から、同銀行の戸部三千子に対する貸付金につき、同女と同銀行社長長田庄一との男女関係を理由に、債権を負けてやつて貰いたいと要求され福田進と交渉したところ、その過程で同人からルポライター云云という言辞を弄されたため、前記石田総務部長と相談の上、福田進に対し戸部三千子の支払うべき遅延損害金一六九万円を免除する旨譲歩すると共に、現金三〇万円を交付して右記事の差止めを依頼したが、これをきつかけに、東京相互銀行は同四八年六月頃から福田進に対し、前記躍進ニツポンの賛助金名下に五万円を年二回支払つていた。』しかるところ、同四九年一〇月四日頃、同銀行に送付された同月一七日付けの躍進ニツポンに、「不況下にゴルフ会員権六百万円が売れている東京相互銀行が得意先指定で八百枚」という見出しの下に、同銀行の関係者が経営するFゴルフクラブの会員権を同銀行の支店を窓口にして販売している旨の記事が掲載されていたため、石田総務部長及び山本調査役の両名は、同月一八日頃、同銀行本店を訪れた被告人亀卦川に対し、福田進と交渉してこれ以上ゴルフ場の記事を書かせないようにして貰いたい旨依頼したところ、同被告人はこれを了承した。

五  小切手の紛失

昭和四九年一〇月一九日土曜日に、交換持出銀行を第一勧業銀行数寄屋橋支店とする被告人平田振出にかかる額面二〇〇万円の小切手が東京相互銀行銀座支店に持帰られたが、同被告人の当座預金口座にはこれを決済するに足る資金がなかつたところ、同被告人は入金時間を経過した後、八重州食品振出にかかる額面二〇〇万円の小切手一通を持参し、これを見合小切手として入金するから右小切手が決済されるまでの間東京相互銀行において交換呈示された小切手の決済資金不足分を立替える、いわゆる他店券過振り扱いをして欲しい旨申し出たので、同被告人が暴力団関係者であり、かつ総会屋である上、前記三記載の過去のいきさつから、後難を恐れ、同被告人のこの種申し出を許容していた銀座支店従業員は右申出を了承して右小切手を受取つた。

同月二一日月曜日、同支店長中村は、右八重州食品振出にかかる二〇〇万円の小切手が紛失した旨報告を受け、店内を隅なく捜させたが見当らないため、誤つて紙屑と共に処分してしまつたものと判断し、善後処置として八重州食品に同額の小切手を再発行して貰おうと考え、同日午後二時頃、被告人平田を銀座支店に呼び、小切手紛失の事実を告げ、被告人福田から同額の小切手を再度振出して貰つてくれるよう依頼した。被告人平田はこれを聞き、東京相互銀行に恩を売る良い機会であると考え、銀行が小切手を紛失したことが被告人福田に知れると必ず銀行に迷惑がかかるから、自分が紛失したことにして再発行して貰う旨答えて、早速支店長室から被告人福田に電話して再発行を頼んだところ、同被告人から「それは銀行でなくしたんだろう」と言われて答に窮し、通話終了後中村に対し、「いやよわつたよ、福田はもう銀行がなくしたのを知つている」と話した。同日午後五時半頃、被告人平田は同都港区浜松町一丁目三〇番六号の八重州食品の事務所を訪れ、被告人福田から小切手の再発行を受けたが、その際被告人福田から「東京相互はたるんでいる、これを機会に当座を開いて貰つて五〇〇〇万円の融資をして貰うよ」と言われたため、「そうだ、銀行ともあろうものが客から預つた小切手を紛失するなんてとんでもない。俺が亀卦川さんに言つて圧力をかけて貰つて金が出るようにする」と答えた。

同月二二日、中村は、銀座支店で被告人平田から再発行された小切手を手渡されたが、その際同被告人から被告人福田が銀行に対し非常に立腹していると聞かされたため、翌二三日に同支店預金副長の長岡に指示して八重州食品の事務所に菓子折を届けさせたが、被告人福田は、同日午後右菓子折を銀座支店に返還させた。

被告人亀卦川は、同月二三日被告人平田から電話で「福田狂介から借りた二〇〇万円の小切手を東京相互の銀座支店に預けたらなくされてしまつた。俺は銀座支店に世話になつているので福田に頼んで再発行して貰つたが、福田はがたがた怒つている」と聞かされ、咄嗟に、被告人福田はこの銀行のミスを絶対にのがさず、銀行に対し相当多額の融資を要求するだろうと思い、若し、その要求を断れば、小切手紛失問題を表沙汰にされ銀行の信用がガタ落ちになる結果を招くから、この際はある程度被告人福田の要求を入れて、この問題が外部に洩れないようにしなければ大変だと考えた。そこで、被告人亀卦川は翌二四日銀座支店を訪れ、支店長中村と会い、支店長として右小切手紛失問題の事後処理につきどう考えているかを質したところ、同支店長の被告人福田及び同平田に対する見方が極めて甘く、事態の見通しが楽観的に過ぎることを知り、事の成行きを憂慮し、翌日改めて被告人平田を同伴の上協議に訪れる旨告げて引揚げたのち、被告人平田に電話して翌二五日午後二時に銀座支店に来るよう話したのであるが、その際同被告人が被告人福田も呼ぶと言つたところ、被告人亀卦川は敢えてこれに異を唱えなかつた。

第二  本件犯行

昭和四九年一〇月二五日午後二時ころ、被告人亀卦川、同平田及び被告人平田から前日連絡を受けた被告人福田の三名は、前記東京相互銀行銀座支店ロビーで落合い、被告人福田が被告人亀卦川に対し、「亀卦川先生、今日はいろいろお世話になります。小切手を銀行でなくしたことは重大なミスですから私がこれから少し脅かします。後は宜しく頼みます」と挨拶したところ、間近に控えている東京相互銀行の一一月株主総会を無事に済ませるためには小切手紛失問題が外部に洩れないように被告人福田を押えなければならず、そのためにここで支店長に無理に融資をさせる結果となつたとしても、小切手紛失問題が表沙汰にならない方が銀行全体にとつて利益であると考えた被告人亀卦川は「わかつた」とこれに応じ、被告人平田も「僕はいろいろ面倒を見て貰つているので狂ちやんと先生とでお願いします」と同調し、ここに右被告人三名は同支店長から八重州食品に対する貸付金名下に財産上の利益を喝取しようと共謀し、直ちに同支店支店長室に至り、同所において、同支店長中村嘉幸に対し、被告人福田において、腕組みして右中村を睨み付けながら語気荒々しく、「小切手を紛失したのに自分の責任を逃がれようとして平田に責任を負わせようとしたり、ケーキ一箱でごまかそうとしたり、一体銀行の責任はどうなつているんだ」と申し向け、右中村が謝罪しながらも「実損が生じたわけでもありませんので」と弁解するや「実損がなければ銀行では問題にしないのか。これは重大な銀行の責任問題ではないか」「ところで支店長、支店長権限で貸し出せる額は最高でどの位だ」「五〇〇〇万円すぐ融資してくれ、担保なんか後だ」と申し向け、被告人平田において、「支店長、福田さんは小切手の件でえらい迷惑をうけたんだ。それなのに黙つて小切手を再発行してくれたんだ。この際福田さんの要求をすんなり呑んで融資したらどうだ。後で担保を入れると言つているから」と申し向け、更に被告人亀卦川及び同福田において「東京相互ではこの問題以外にもまだある。福田さんのところで出している躍進ニツポンが富士エースゴルフ場に不正があると叩いているが、この話がまとまつたら次の記事を取消してくれるか」「あの記事を出しているのは兄貴だ。俺には自由にならないが話によつては兄貴に話してやつても良い」と問答した上、被告人福田において、「いくらだつたら融資できるのだ。とりあえず三〇〇〇万円ならどうだ」と迫り、右中村が「お約束できる最高額は一五〇〇万円です」と答えるや、「なに、たつた一五〇〇万円か。そんなものはいらねえ」「わかつた帰るしかない。この問題はこのままではすまないぞ」と申し向けて被告人ら三名共右支店長室を立去り、その後被告人亀卦川が一人支店長室に引返して、「さつきは大変だつたろう。融資を頼みに来た者があんなに怒鳴つたりして本当に悪かつた。しかし銀行の方でも小切手をなくした重大なミスがあるし、福田、平田はあのように煩さい連中だから、ここでなんとか融資に応じてやつた方が無難ではないか。株主総会もせまつているし、俺が融資額一五〇〇万円で福田を納得させてやるがそれでどうだ。ただ一つ条件がある。福田にこれを初めとして今後融資の相談に応じるということにしてくれ。それでどうだ」と申し向け、被告人亀卦川が同銀行の幹事総会屋であり、被告人平田が暴力団関係の総会屋で、同支店と前記第一の三記載のような関係にあるものであり、被告人福田が右翼活動に従事している者であることを知つている右中村をして、もし被告人ら三名の右融資の要求に応じなければ前記小切手の紛失問題あるいはゴルフ場の不正問題を被告人福田の兄福田進が発行している暴露週刊誌躍進ニツポンに掲載して世間に公表し、あるいはこれを同年一一月に開催予定の同銀行の定時株主総会の質議に付して右総会を混乱に陥れるなどして、東京相互銀行の信用並びに業務にいかなる危害をも加えかねず、かつ右中村の支店長としての進退問題にまで発展しかねないものと畏怖させ、よつて同人をして、八重州食品に対し一五〇〇万円を融資し、かつ将来にわたつて継続的に融資の相談に応じることを確約させた上、まず同年一一月九日同支店に八重洲食品株式会社代表取締役福田恭介名義の当座預金口座を開設させ、次いで右中村の命を受けた同支店係員を介し、貸付金名下に、右預金口座に

(一)  同月一一日に四九四万二八九二円

(二)  同月二五日に九五四万八九九六円

をそれぞれ入金させ、もつて右金額相当の財産上不法の利益を得たものである。

(証拠の標目)(省略)

(法令の適用)

罰条 刑法二四九条二項、六〇条

執行猶予 刑法二五条一項

(被告人亀卦川の刑責について)

被告人亀卦川が本件犯行に加担したのは、前認定のとおり、小切手紛失問題が外部に洩れないように被告人福田を押えて一一月株主総会を無事に乗り切ることが東京相互銀行の利益になることであり、そのためには支店長に無理に融資を強いることもやむを得ないと考えたためである。すなわち、同被告人は同被告人なりに、小の虫を殺して大の虫を生かすとでもいうべき考えに基づいて行動していたものということができよう。したがつて、同被告人の行為は違法性を欠くのではないかとの疑問も考えられるが、本件の如き解決方法自体が適法なものとは考えられないので、この疑問を肯定することはできないと判断される。

(無罪部分の理由)

第一  公訴事実

被告人中村、同福田に対する商法違反(特別背任)被告事件の公訴事実の要旨は、被告人中村は、昭和四九年二月一日から同五二年一〇月四日まで、東京相互銀行の取締役銀座支店長として同支店の行う貸付及び預金業務の全般を処理統括し、同行のため忠実にその職務を遂行すべき責務を有していたもの、被告人福田は八重州食品の代表取締役であるが、同支店の八重州食品株式会社代表取締役福田恭介名義の当座預金口座には、小切手などの決済資金が不足して他に決済資金のあてもなく、また、八重州食品あるいは被告人福田から確実な担保の提供もなかつたので、右当座預金口座から、その残高を超えて小切手などの支払決済をして貸付を行なうときは、それが回収不能となつて同銀行に損害を与える虞れが極めて大であつたにもかかわらず、前記任務に背き、八重州食品の利益を図り、かつ、同銀行に損害を加える目的をもつて、被告人福田の依頼に応じ、ここに被告人中村、同福田の両名は、同支店次長竹田義夫と共謀のうえ、別紙一覧表(省略)記載のとおり、昭和五〇年二月一八日から同年四月五日までの間、合計四〇回にわたり、いずれも前記東京相互銀行銀座支店において、右当座預金口座から、その預金残高を超えて、いわゆる他店券過振りの方法により、八重州食品株式会社代表取締役福田恭介振出名義の小切手合計三〇二通、同名義の約束手形合計五六通(金額合計二億七三七一万一三七円)の支払いをして右金額を八重州食品に不正に貸付け、もつて東京相互銀行に右金額相当の財産上の損害を与えたものである、というのである。

ところで、被告人中村の当公判廷における供述、同被告人(52・12・12付)及び被告人福田(52・10・26付)の検察官に対する各供述調書、筋野通雄の司法警察員に対する供述調書、山浦弘、石田義雄(52・11・5付)作成の各捜査関係事項照会回答書、商業登記簿謄本(東京相互銀行のもの)、司法警察員中森修作成の捜査報告書三通(52・11・20付、52・12・2付、52・12・7付)、被告人中村及び小野寺武次共同作成の上申書、押収してある他店券過振承認簿(昭和五三年押第八二八号の一)によると、被告人中村は、昭和二六年三月京都大学法学部卒業後、同年四月株式会社三井銀行に入社し、同四七年五月同行日本橋通町支店長になつたが同四八年三月三一日同銀行を退職し、同年四月二日東京相互銀行に入社し、業務推進本部調査役、融資部長、業務第三部長を経て、同四九年二月銀座支店長に就任し、同年五月取締役に選任されたものであり、被告人福田は前記罪となるべき事実第一の一記載の如き経歴のものであるが、東京相互銀行の過振り事務取扱細則(昭和五〇年四月一日実施)は、「〈2〉過振りとは、当座勘定取引先と当座勘定貸越契約を締結もしくは締結していない場合に手形、小切手が支払のため呈示されたとき、当座貸越限度を超えまたは当座預金残高を超過して銀行が立替払いすることをいい、受入れた他店券の不渡返還時限が経過していないものを支払資金に充当する場合も含まれ次により区分する。(1)一時過振り 一時過振りとは、払戻記帳の結果、当座預金残高が不足し赤残となるものをいう。(2)他店券過振り 他店券過振りとは、決済が確定していない他店券を引当として払戻記帳を行うものをいう。(3)看做し 看做しとは、支払のため呈示された手形、小切手を現金にみなすことにより、当日の逆交換による不渡返還手続を翌営業日の不渡返還時限まで延長することをいう。」と定義し、右細則により廃止された当座勘定過振り報告(日報)の制定について(事牒甲第三〇号、昭和四四年七月一五日)は、「当座勘定過振りについては、原則として行なつてはならない規定になつている。従来は慣習上支店長が認めた場合に限りこれを容認していたが、今後はたとえ支店長が取り上げ已むなしと認める場合であつても当座過振りが発生した場合は、決済日まで連日別紙報告書を下記事項留意のうえ融資部長経由事務部長まで報告されたい。留意事項1非拘束定期預金、その他預金によつて万一不渡りの場合はいつでも補てんし得る状態にあること。2相手先の信用状態および保証人、ならびに担保余力等を充分勘案のうえ行なうこと。3過振りが二日以上(当日他券過振りは除く)に亘り連続して決済できない場合は、本報告書作成と同時に支店長は即時に融資部長または事務部長宛電話にて取扱い事情を説明し、その指示を受けること。以下略」と定め、前記取扱細則は過振りの承認権限につき、「〈3〉過振りは原則として認めない。ただし〈2〉項の他店券過振りおよび看做しについては、支店長が当該取引先の取引振りを勘案し、かつ営業上真にやむを得ないと認めた場合にかぎり行うことができる。〈4〉過振り扱いの承認は支店長が行うものとし支店長はこの承認権限を下部に委譲できない」と定めているところ、被告人中村は東京相互銀行銀座支店において、八重州食品に対し、別紙過振り推移表記載のとおり、昭和四九年一一月一五日から同五〇年四月五日までの間、いわゆる連続過振りの取扱いをなし(以下右昭和四九年一一月一五日から同五〇年四月五日までの過振りを「本件一連の過振り」という。)右連続過振りの最終日には他店券過振り金残高(いわゆる焦付き分)が九二七五万九四六一円であつたところ、被告人中村は、これを同月七日九三〇〇万円の手形貸付に切り替えたのであるが、その間同五〇年二月一八日以降同支店において支払処理がなされた八重州食品振出の手形・小切手類の数及び金額は起訴状記載のとおりであることが認められる。そこで、本件一連の過振りのうち、昭和五〇年二月一八日以降の分(以下これを本件過振りという。)につき、被告人中村、同福田につき特別背任の罪が成立するか否かにつき以下判断する。もつとも、本件公訴事実中いわゆる外形的事実と称すべき他店券過振りの事実は上記のとおりこれを認めることができるので(ただし、個個の過振り金額については、弁護人において、支払呈示された小切手類の金額から当日入金された金額を差引いたものとすべきであると争うところであり、これと同旨の見解を示す先例として、東京地方裁判所昭和五三年一二月一日判決((昭和五二年刑(わ)第一二五八号ほかの事件))も存在するが、本件は後記のように、被告人中村の犯意が認められない点において既に無罪を宣すべきであるから、右の点には敢えて立入らないこととする。)、専ら背任罪の主観的要件である図利・加害目的の点について検討を加えることとする。

第二  被告人中村の背任罪の成否

一  本件一連の過振りの動機について

本件過振りは、右に見たように、本件一連の過振りの一部をなすところ、本件一連の過振りは、昭和四九年一一月一五日から同五〇年四月七日まで、五ケ月弱の長期間に及び、しかもその態様は、連続過振りであること、当日過振りが多いこと、見合他店券の多くが八重州食品振出のいわゆる自振小切手であること、更に同年二月二〇日からは見合小切手の依頼返却、再入金が繰返されたことなどの特徴を有し、これを単に外形的に評すれば、極めて異常であつて、銀行員としては絶対に行つてはならない種類のものであるというも過言ではない。しからば、かかる異常な行為が何故なされたのであるか。殊に、これによつて被告人中村が利益を得たというのであれば格別、証拠によれば同被告人が金銭的利益を得たことは全くなかつたことが認められるのであつてみれば、一体いかなる動機から同被告人がかかる銀行員にあるまじき異常な過振りを敢えてしたのか、この点を究明することが本件過振りにおける同被告人の犯意の有無を判断する上に重要であると思料されるので、まず本件一連の過振りの動機について検討する。

1 本件一連の過振りの経緯

そこで、本件一連の過振りの当初に遡り、その経緯を見ることとする。

(一) 被告人福田らの恐喝

被告人中村の当公判廷における供述(第一五回公判)、中村嘉幸に対する証人尋問調書(四通)、亀卦川清(四通)、平田雅弘(五通)の検察官に対する各供述調書、被告人福田の検察官(52・10・26付、52・10・27付、52・10・31付)に対する各供述調書、躍進ニツポン二部(昭和五三年押第六八五号の三)によると、ほぼ前記罪となるべき事実記載の事実を認めることができる(ただし、同事実中第一の三、四の『 』で囲んだ部分を除く)。

(二) 平田の連続見做し

被告人中村の当公判廷における供述(第一九回公判)、同被告人の司法警察員に対する供述調書(52・12・11付)、酒井武の検察官に対する供述調書(第四項を除く)、赤津芳伸の検察官に対する供述調書(第二項)、平田雅弘の司法警察員に対する供述調書(52・12・7付)によると、平田雅弘は前記罪となるべき事実記載のとおり、昭和四九年一〇月二五日東京相互銀行銀座支店において、被告人福田らと共に、被告人中村を恐喝したのであるが、その後、右恐喝の翌日である同月二六日に富士銀行郡山支店から交換呈示された平田雅弘振出、支払場所東京相互銀行銀座支店、額面三六〇万円の約束手形を手始として、以下いずれも同人が同支店を支払人として振出し交換呈示された小切手を、同月二九日一通(額面一六五万円)、同年一一月二日一通(八七万円)、同月一一日一通(一〇〇万円)、同月一六日一通(二〇〇万円)、同月一八日一通(一六五万円)、同月二六日一通(一三二万円)、同年一二月五日五通(合計五〇一万円)、同月九日一通(三〇万円)、同月一〇日一通(一六万円)、同月一二日一通(四五万円)、同月一七日四通(一四〇万八二五〇円)と合計一九通、額面合計一九四一万八二五〇円につき、いずれも決済資金はおろか、見合いの小切手類も全く入金せず、被告人中村らにおいてこれを要求すると、「小切手紛失は気持よく再発行して銀行のミスを救つてやつた、面倒を見ないなら覚悟がある」「東京相互は亀卦川が面倒をみているから遠慮していたが、銀行がそこまでやらないなら、その事実を持つて総会に乗り込むぞ」「東相の出方によつては亀卦川との間柄は関係ないんだ。俺は今金はできないが、金は返さないといつてないじやないか、このくらい面倒みてくれて当然だ」などとうそぶき、被告人中村をして右一九通の手形・小切手につき連続見做しの扱いをすることを余儀なくせしめたため、同被告人は、やむなく右一九通の小切手類を銀座支店の金庫内に保管していたところ、同五〇年一月二一日から同月二四日まで行われた本店の特別検査においてこれが指摘され、検査部長酒井武から書面により右看做しの解消方を勧告されたため、同年二月一五日付を以て手形貸付に切り替える処置をとつたが、右一九通の小切手類は既に東京相互銀行において立替え決済していたため、平田は不渡り処分を受けることはなかつたことが認められる。

(三) 東京相互銀行を巡る当時の状況

証人石田義雄、同松原茂の当公判廷における供述、前記躍進ニツポン二部、日本報道新聞50・1・15付(前同号の五)、夕刊ニツポン二部50・3・5付、50・3・19付(同号の六)、財政金融ジヤーナル75年5月号(同号の八)、国際経済75年5月号(同号の九)、20世紀75年6月号(同号の一〇)参議院予算委員会議事録第一五号(第七五回国会)、東京相互銀行社長松原茂作成の「不祥事件等一連の事故に係る人事措置について」と題する書面によると次の事実が認められる。

前記罪となるべき事実第一の四記載のとおり、福田進発行にかかる躍進ニツポンの昭和四九年一〇月一七日号は、ゴルフ会員権問題をとりあげ、東京相互銀行を攻撃する記事を掲載していたが、同五〇年一月中旬頃には、「東京相互長田社長の黒い全貌第一弾!」と題して同銀行社長長田庄一の事業経営を攻撃する記事を掲載した日本報道新聞(同月一五日発行)が同銀行の役員や支店長の自宅に配布され、続いて同年二月には「長田庄一社長の不正をあばく」と題して、東京相互銀行は東陽相互銀行の株を銀行法に違反して取得している。長田社長は富士エースゴルフ倶楽部なる会社を虎ノ門にある東相ビル内に設立、役員を身内で固め、その会員権を融資をエサに取引先に押し売りさせている、同社長は行員の使い込み事件を大蔵省に報告しなかつた、などの旨を内容とした文書が、同じく東京相互銀行関係者方などに配布されるいわゆる怪文書事件が発生し、これがまたいわゆる業界紙のとりあげるところとなり、かかる同銀行内の内紛に起因したいわゆるブラツク・ジヤーナリズムの同銀行攻撃は同年五月頃まで続き、その間、同年三月二五日には、参議院予算委員会において工藤良平議員が東京相互銀行のゴルフ会員権販売問題とロイヤルゼリーを同銀行支店で販売している問題をとりあげて質問する事態にまで発展したのであるが、これがため同銀行内部には、かかる事態を同銀行の経営危機とする認識が広まると共に、行員相互間に不信感がみなぎる異常事態となり、かつ、直接対外折衝の任にあたる前記石田総務部長等は、大蔵省に呼び出されて深夜まで詰問されるなど、これら一連の現象の対応に忙殺される状態であつた。しかして、東京相互銀行は、これらの問題をも含めた一連の不祥事件に対する事後措置として、取締役社長長田庄一が取締役会長に退き、新たに専務取締役松原茂が取締役社長に就任すると共に、右長田庄一、松原茂以下取締役一二名につき月報酬の三割ないし一割を五カ月ないし一カ月減額(他に賞与減額を伴う者もある)する処分をなし、これを同年一〇月二八日付で大蔵省に報告した。なお、被告人中村嘉幸はこの処分において、銀座支店事故を名目として、月報酬三〇%減額二カ月、賞与第五一期分三〇%減額に処せられている。

(四) 八重州食品に対する過振りの状況

被告人中村の当公判廷における供述、同被告人の検察官(52・12・16付、52・12・19付、52・12・23付)並びに司法警察員(52・12・17付、52・12・18付)に対する各供述調書、証人竹田義夫の当公判廷における供述、証人中村嘉幸に対する尋問調書四通、被告人福田の検察官に対する供述調書二通(52・10・27付、52・10・31付)、竹田京二の司法警察員に対する供述調書、小野寺武次作成の上申書、司法警察員中森修作成の捜査報告書二通(52・11・20付、52・12・20付)、押収してある当座勘定過振り日報(昭和五三年押第八二八号の二)によると、次の事実を認めることができる。

(1) 被告人福田は、前記罪となるべき事実記載のように、昭和四九年一〇月二五日、被告人中村を脅迫し、八重州食品に対して一五〇〇万円を融資し、かつ、将来にわたつて継続的に融資の相談に応じることを確約させたのち、翌二六日以降、連日のように東京相互銀行銀座支店を訪れていたが、まず北海道余市所在の山林数筆の登記簿謄本を持参したところ、被告人中村から遠方であることを理由にこれを担保にとることを拒絶され、更に山辺昌男所有にかかる大田区田園調布本町三八番一二の宅地の登記簿謄本を持参したところ、これまた先順位担保のあることを理由に担保とすることを拒否されたため、更に同人所有の同区田園調布一丁目九番二に所在する宅地・建物の登記簿謄本を持参したが、やはり前同様の理由で拒絶された。そこで、被告人福田は同中村に対し、「担保が悪いとばかり言うな、当座をまずすぐに開いてくれ」と要求し、同年一一月九日、前記罪となるべき事実記載のとおり、八重州食品の当座預金口座を開設させてこれに一〇万円を入金したが、次いで同月一一日、同支店において、被告人中村に対し、「支店長、当座は設けて貰つたが一〇万円の金ではどうにもならない。支店長が融資の確約をしてくれたから当座を組んだんだ。融資を実行してくれなければ当座を利用できないので今日はどうしても一〇〇〇万当座に入れてくれ。担保はあとだ」と要求し、同日被告人中村をして、一五〇〇万円の融資を実行するまでのつなぎ融資として五〇〇万円の貸付を実行させ、四九四万二八九二円を右口座に入金させたうえ、即日五〇〇万円を引き出して費消した。しかるところ、被告人福田は、右五〇〇万円貸付の後である同月一五日、九五万円の八重州食品振出のいわゆる自振小切手を見合いにして、九〇万四一〇八円の過振りを要求し、「融資する約束をしておきながら、いつまでも融資しないから折角当座を開いても思うように回転しない。早く一五〇〇万融資してくれ、そうすれば問題ないじやないか。平田にやつて俺の方は面倒みてくれないのか。二〇日までには必ず出してくれ」と、申し向けたため、被告人中村もやむなくこれに応じ、ここに八重州食品に対する第一回の過振りを行つたのであるが、以後八重州食品に対する過振りは別紙過振り推移表(No1)記載のとおり同月一九日、二〇日、二一日、二二日と継続した。被告人福田は、その間も被告人中村に対して残る融資の実行を要求していたが、被告人中村において担保不足を理由に難色を示していたところ、「担保、担保とばかり言うな、一五〇〇万の融資が前からの約束なんだからすぐに実行してくれ」と強要し、遂に同月二五日、同被告人をして前記山辺所有の物件を担保に(ただし、田園調布本町の宅地は先順担保を抹消された。)残額一〇〇〇万円の融資を実行させ、九五四万八九九六円を入金させた。被告人中村は右の融資をしたことにより過振りは解消される腹づもりでいたところ、八重州食品の口座における右融資当日の支払呈示金額が当座残高を三〇〇万円超過していることを発見し、困惑したが、右の如く恐喝された一五〇〇万円の融資を実行したその当日に不渡りを出すこともならず、かつは前記のように平田に対する連続見做しを当時既に七一七万円も抱えさせられていたこともあり、やむなく、右三〇〇万円を見做し扱いとしたところ、これをきつかけに、八重州食品に対する過振りは、以後別紙過振り推移表記載のとおり、連続するに至つた。

(2) かくして被告人中村は、被告人福田と平田雅弘の両名から看做し、過振りで痛めつけられる状態に陥つたのであるが、被告人福田に対し、過振りを解消するよう説得していたところ、被告人福田は同年一二月頃、同被告人の母親福田スエノ名義の家屋の権利証を持参し、「支店長、心配するなら預けよう、俺が母親の家まで銀行にとられるようなへまなことをするわけがない。銀行には絶対迷惑かけない。過振りは一月中には無くす」と言明したこともあり、被告人中村は、見合小切手が決済されていることと、万一八重州食品が不渡を出せば大丸における営業権を失うことになるから被告人福田が不渡りを出すようなことはあるまいと判断したことから、ここは過振りを続けて不渡りを恐れる同被告人の弱点を突きながら、被告人福田の自発的努力により過振り解消を図るのが良策であると考え、福田を毎日説得しつつ過振りを行ない、かつ、連日の過振りを当座勘定過振日報によつて本店に報告する一方、昭和五〇年一月中旬頃自ら本店に趣いた際、松原審査担当専務、伊藤審査部長、石田総務部長に右方針を話し、一応の了解を得ていた。

(3) しかるに、八重州食品の過振りは一向に改まらず、同年二月に入つても依然継続していたため、被告人中村は、前記特別検査の事後検査があるからと口実を設けて過振りを解消するよう被告人福田を説得してみたり、或はまた、同月初め頃からは被告人福田が八重州食品の借入金は一億五〇〇〇万円位あるが、そのうち一億ぐらいは返さなくてもいい金で五〇〇〇万円が忙しい金であるからそれを長期貸付けにしてほしいと要求するようになつたので、過振りを零にすれば融資の相談に応じようと答えて、融資を口実に説得したりする一方、石田総務部長を通じて亀卦川清に被告人福田を説得して貰うことも考え、同月中頃本店へ出向いたが、石田は前記の怪文書事件への応待に忙殺され、過振り問題を相談できるような様子ではなかつたため、被告人中村は八重州食品の過振り問題はなんとか銀座支店で解決して、これ以上本店に迷惑をかけてはならないと考え、亀卦川に依頼することを断念した。かくの如く、八重州食品の過振りは被告人中村の意に反して二月に入つてからも、別紙過振り推移表(No4)記載のとおり二〇〇万円台から四五〇〇万円台の間を増減しつつ連続していたが、同被告人は強引に不渡りを出して過振りを打切ると前記大丸における八重洲食品の営業を失わせることになるので被告人福田の関係する防共挺身隊が東京相互銀行に対し、小切手紛失事件を暴露するなどの報復行動に出るであろうと危惧した反面、依然見合小切手は決済されており、八重洲食品が不渡りを出すことはあるまいという考慮から、そのうち過振りも消滅するであろうと期待していた。

(4) しかるところ、昭和五〇年二月二〇日、被告人福田から、同月一八日入金し右二〇日に港信用金庫三光町支店で決済予定になつている額面二一六〇万円の見合小切手の決済資金の手当がつかないので依頼返却の手続をとつて欲しい旨の申出を受け、被告人中村は、或は前記平田雅弘の看做しを手形貸付に切り替えたのを知つた被告人福田が貸出しを強要する手段としてかかる態度に出たのではないかと疑う反面、或は真実決済資金の調達に破綻を来したのかとも考え、かつは右依頼を断り、八重州食品が不渡りを出した場合には、同日現在における八重州食品の過振り額三〇六一万余円と前記貸付金一五〇〇万円の回収が滞ることと、被告人福田及び防共挺身隊から東京相互銀行に対して予想される報復行動とを恐れて思い悩んだが、被告人福田において、とりあえず約三〇〇万円の現金を入金し、過振り残高をこれ以上増やさないようにすることを約束したため、竹田次長と相談の上、暫く様子を見ようという気持になり依頼返却の手続を取つた。

(5) 右依頼返却の措置を取つて以後、同年二月中の過振り状況は別紙過振り推移表(No4)記載のとおりであつて、同月二七日まで過振り金額はほぼ三五〇〇万円程度に固定するように見え、三通の見合他券が依頼返却、再入金を繰り返していた。被告人中村は、従来連続過振りを行いながらも、過振りのための担保を徴することは、過振りを容認することになると考え、担保提出を求めないでいたのであるが、昭和五〇年二月中頃からは、担保の必要性も考慮するようになり、被告人福田に対し、担保物件の提供方を求め、同月一九日には銀座支店従業員三橋勝美に命じて、被告人福田が持参した登記簿謄本に基き、立川市柏町四丁目五四番九所在の宅地建物につき担保価額の評価を命じ、不動産担保調査書を作成させていたところ、右のように約三五〇〇万円の過振り額固定化現象が生じて来たため、従来のように被告人福田の努力に待つのみでは過振りの解消は困難であると判断するに至つた。そこで被告人中村は、前記の如き怪文書問題などのある異常状況下において、被告人福田を刺激することは問題を大きくして東京相互銀行の利益に反する結果になると考え、この際は同被告人の要求を入れて、右三五〇〇万円につき担保を徴した上で、これを長期の貸出しに振替え、八重州食品の営業利益によつて回収を図る以外に方法はないと判断し、本部に赴き右の方針を伊藤審査部長に話し一応の了解を取りつけた上で、被告人福田に対し、積極的に担保の要求を開始した。

(6) こうして被告人中村は、被告人福田に対し担保の提出を求め、これが提出されるまでの間依然過振りを続けていたところ、同年三月の過振りは別紙過振り推移表(No5―1)の如く推移し、殊に同月二〇日以降になつて連日急激な増加を示し、同月三一日には遂に過振残高が一億円を突破するに至つた。被告人中村は、かかる予想外の事態を前に狼狽し、同日午前中被告人福田を呼んで資金計画を問い質したところ、同被告人は約六〇〇〇万円は四月中に返済することが可能である旨答えたため、過振残高からこの分を除いた四〇〇〇万円につき貸付けに振替えようと考え、急遽稟議書を作成して本店に赴いたが、審査担当役員の松原専務から強く叱責されて直ちに過振り残高全額を手形貸付に振替えるよう指示された。そこで被告人中村は銀座支店に戻り、被告人福田を呼んで、今後は過振りに応じず資金不足分は不渡りにすることを告げて承諾を求め、その旨の念書の作成を求めたところ、被告人福田は、昭和五〇年四月一日以降支払呈示された八重州食品振出の手形小切手類については、必ず呈示日の午後三時までに入金する、万一支払資金を超える呈示がなされた場合には、即座に不渡り返還されても異議を申立てないことを確約する旨の念書を作成して、被告人中村に交付した。被告人中村は、右のように被告人福田に過振りを切ることを承諾させたうえで、少しでも過振り残額が減少した時を見計つて手形貸付に切り替えようと考え、なおも過振りを続けた上で同年四月五日過振り額が九二七五万余円に落ち込んだ時点をとらえ、竹田次長と相談の上、九三〇〇万円の手形貸付に切り替えることとし、同月七日これを実行した。

(7) 被告人中村は、本件一連の過振りの責任をとつて退職することを決意し、翌八日進退伺いを作成して前記長田社長に対し、本件の不始末を詫びるとともにこれを提出したところ、「どうしてもつと早く報告しなかつたのか。銀座支店だけでなんとかしようと苦労したのは判るが、君は都銀から来てこういうことの処理はよく判らなかつたのだろう。いい勉強だ。いわばむこう傷だ。辞表を出すより回収に専念しろ」と慰留された。

(8) なお、被告人福田から差入れられた担保は次のとおりである。

イ 立川市柏町四丁目五四番九号宅地一三二・二三平方メートル(川島靖子名義)、家屋木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建根抵当極度額一二〇〇万円、昭和五〇年三月七日登記

ロ 川崎市幸区鹿島田字中村一五九家屋木造スレート瓦葺平家二六・四四平方メートル

根抵当極度額五〇〇万円、昭和五〇年四月二八日登記

ハ 大田区田園調布一丁目一二番七号居宅木造瓦葺平家建一二〇・三三平方メートル(福田スエノ名義)

根抵当極度額一五〇〇万円、昭和五〇年三月二八日登記

ニ 大田区田園調布一丁目九番二号宅地四四一・三五平方メートル、他家屋二筆(山辺昌男名義)

三番根抵当極度額一五〇〇万円を四五〇〇万円に変更、昭和五〇年四月三〇日登記

ホ 台東区西浅草三丁目二四番二〇号宅地三四・九〇平方メートル他宅地、建物各一筆(田中みよ子名義)

二番根抵当極度額二五〇〇万円、昭和五〇年四月一日登記

ヘ 鎌倉市雪ノ下四丁目四九九番六三山林二〇〇平方メートル他山林一筆

三番根抵当極度額一五〇〇万円、昭和五〇年四月二八日登記

2 自白の検討

(一) 以上が当裁判所の認定する本件一連の過振りの経緯である。しかるに、これに対して、被告人中村の捜査段階における自白調書によれば、同被告人が本件過振りを続けた動機は、自己の取締役支店長としての面目を失墜することと、過振りに対する責任を問われることを恐れたためである、とされている。そこで右自白について検討を加える。

(1) まず被告人中村の捜査官に対する供述調書には次の記載がある。すなわち、「私が長期且つ連続した過振りを八重洲食品のためにやつてしまつたのは、一口でいえば、取締役支店長としての私の面目失墜を恐れ、かつこのように連続した過振りが表沙汰にならないように考えたからでした。私は四九年二月に銀座支店長になり、同年五月に取締役に就任しましたが、そもそもの生立ちは、いわゆる外部である三井銀行から入つて来た者なのです。本来の東京相互の職員から見れば、私はいわば外人部隊の一人でした。このような立場に居りましたし、取締役になつて間もなくの時でしたから、私としては取締役支店長としての体面を汚すようなことはしたくありませんでした。ところが実際には取締役支店長としての体面を汚すことをやつてしまつていたのでした。その一つが平田雅弘関係の看做し扱いであり、他の一つがこの八重州食品の連続過振りでした。私としては同じような愚を二度繰返して回収不能の貸金を二度作ることは自分の大きなミスであると考えました。平田の看做しだけでなく、八重州食品の連続過振りも明らかになつてしまえば私の取締役支店長としての面目は丸つぶれであり、それだけでなく私以下次長や副長まで本店から管理上の責任を追及されて処分を受けるのを恐れました」(同被告人の検察官に対する供述調書52・12・12付第一六項)というのである。そしてかかる動機の発現は、既に昭和四九年一二月に遡つてとらえられている。すなわち、被告人中村の司法警察員に対する供述調書(52・12・21付第五項)には、昭和四九年一一月九日被告人福田と当座取引を開始し、同月一五日頃から過振りをするようになり、一一月末頃までには毎日のように小切手が呈示されてくるので、また被告人福田達に騒がれたりしたら困ると思い渋渋これに応じていた。被告人福田の態度は一一月二五日一五〇〇万円の融資を実行するまでは居丈高で言葉使いも横柄だつたが、この融資を実行してから過振り等を頼みに来るようになると急に態度が柔らかく友好的になつた。被告人中村自身も一一月二九日の第四九期定時株主総会が無事終了すると被告人福田達への恐怖心も薄らぎほつとした。一二月中旬ころになると被告人福田は被告人中村らと打解けた話をするようになり、同被告人の被告人福田に対する恐怖心は全くなくなつた旨の記載があり、また、同被告人の検察官に対する供述調書(52・12・19付第六項)には「私が何故八重州食品の連続過振りを本店において問題として取り上げられたくなかつたかと申しますと、先ず第一にこの問題が大きく取上げられることによつて私の取締役支店長としての面目、体面、信用がそれだけ落ちるということでした。そして、それだけでなく、平田雅弘の長期看做し扱いの件もあり、管理者としての責任をとらされて処分を受けることが嫌でした。まさか退職しろというまでの処分は受けないだろうとは思いましたが、万が一、退職ということにでもなれば、私としては東京相互から借入れた金の返済に窮するのでした。(中略)そのような訳で、八重州食品の過振りの問題が取り上げられ、これで処分を受けたくないという気持が強かつたのです。二〇〇万円の小切手紛失問題については、初め過振りを始めたころ、もし過振りを断われば、この紛失問題がむし返されるのではないかという心配を抱きましたが、この心配は日が経つにつれて薄れ、四九年一二月末頃までには殆んど私の心の中で消えていたのです。この心配よりも、むしろ、これが消えるに従つて私の気持の中では、八重州食品の過振りを続けて行くことの心配の方が大きく広がり始めました。過振りをやつていることについての罪悪感というか、怖れが大きくなり、云云」と記載されているのである。これらの記載を総合すれば、被告人中村は、当初は被告人福田に対する恐怖心から過振りをしていたが、昭和四九年一二月中旬頃からはその気持が切り替り、自己の面目を失墜させたり責任を問われたりすることを避けるために、過振りを続行したということになるわけである。そして、この結論の前段部分、すなわち、本件一連の過振りが被告人福田に対する恐怖心から始まつたという点は、前認定の事実関係に照らして、十分肯認できるところである。しかしながら、右の後段部分、すなわち被告人福田に対する恐怖心が消えて、被告人中村の我身可愛さの念が過振りの動機に取つて替つたという点に関する右各供述調書の記載に対しては、以下の理由から疑念を差しはさまざるを得ない。すなわち、そもそも他店券過振りというものは、それが連続してなされている場合であつても、見合い他店券が決済されている限り銀行に実損は生じないし、過去の過振り額が累積して増大して行くこともないものである。したがつて、仮りに一時期連続した過振りがなされたとしても、それがある時点で終焉した場合、すなわち、過振り残額が零となつた場合には、過振りによる銀行の経済的損害は無かつたのであるから、その後になつて右の過振りにつき支店長が処分を受けるということはまずないであろう。また仮りに過振りの継続中に不渡りが出たとしても、その時の過振り残額が僅少であれば、支店長に対する処分も軽い程度に止まると考えるのが常識的であろう。ところで、別紙過振り推移表によれば、八重州食品の昭和四九年一二月九日以降の他券過振金残額は、たかだか八〇〇万円台で増減しているところ、同月一四日(土)及び一六日(月)の二取引日にあつてはそれが零となつており、同月二八日のそれは僅か四一万九八二円であることが認められるのであるが、これらの機会をとらえて被告人中村が過振りを切つたならば、すなわち同月一六日に八重州食品振出手形を不渡りにすれば、過振り分の回収不能金額は零であり、また同月二八日に不渡りを出せば、それは四一万九八二円にすぎないこととなる理であるから、連続過振りが問題となつて取締役支店長としての面目を失墜するとか、過振りをしたことの責任を問われるとかいう虞れはまず考えられなかつた筈である。したがつて、若し被告人中村において被告人福田に対する恐怖心が無くなつており、処分や面目失墜の事態を避けることに汲汲としていたのであれば、当然これらの機会を逃さず不渡りを出していた筈であると考えるのが合理的であろう。それなのに、被告人中村がその挙に出なかつた事実は前記各自白調書の信憑性に疑問を抱かせるものというべきである。

(2) 当裁判所が過振りの動機に関する被告人中村の自白調書の記載を信用しない理由は右に尽きるものではない。被告人中村の自白調書には、右の過振りの動機と表裏一体をなすというべき事実として、被告人中村と銀座支店長の竹田義夫の両名が被告人福田と通謀して、本件一連の過振りに関し東京相互銀行本店の目をごまかすべく、過振り残高を減少させる工作をした旨の記載がある。すなわち、「確か一月下旬ころでしたが、竹田次長から事後検査の話を聞きました。それで、この事後検査のときまでに、なんとか過振りの金額を減らしておかなければ、恰好がつかないと思いました。そして、その後福田を支店長室に呼びつけて、竹田次長と二人で、本店の特別検査で指摘されたことをいい、間もなく事後検査があるので一時的にでも良いから過振りを減らすようにして貰いたいと頼み、福田もこれを承知してくれ、本店の事後調査に備えて検査の目をごま化すため、一時的に過振りを少くすることにしました。その結果、福田は、二月五日に過振り金額が二七二万円になるように過振りを減らしてくれたのでした」(検察官に対する供述調書52・12・16付五項)「この翌日の二月六日になり、再び八重州食品の当座過振りが六八九万二四〇八円と増えはじめ、二月七日、八日、一〇日、一二日と過振り金額一五〇〇万円台以上が続くので心配になり、二月一三日の昼ころ福田を支店長室に呼んで、私と竹田次長が会い、『本部がうるさくて困つた。もう少し過振りを減らして戴かないと後の面倒が見られなくなりますよ』等と言うと、福田は『この前は検査があるから過振りを減らさなけりや後で面倒をみられないというから、高い利息を払つて村本のところから借りて来てやつたんじやないか。検査はまだ終らないのか』というので、私が『一応検査は済んだけど、その後過振りについて本部が細かくチエツクするようになつた。また一つこの前みたいに一時的でいいから過振りを減らしてくれないか。減らしてくれたら本部も融資稟議に応じてくれるでしょうから四〇〇〇万位融資できるよう考えてみます』といつた。福田は『それじやまた村本の親父さんにでも頼んで借りるしかないな。支店長本当に融資してくれるんでしようね』と念を押すので『過振りを減らしてくれたら考えます』と答えた。二月一四日には過振り金額四五四万九八九八円となり、二月一五日、二三三万六二一八円と減少したのです」(司法警察員に対する供述調書52・12・11付一三項)と、いうのであるが、右の記載についても次の如き理由でその信憑性に多大の疑問を呈さざるを得ないのである。

第一に、被告人中村及び証人竹田義夫の当公判廷における各供述、竹田京二の司法警察員に対する供述調書、押収してある当座勘定過振日報(昭和五三年押第八二八号の二)によると、本件一連の過振りは、当座勘定過振日報により逐一本店審査部に報告されており、担当審査役及び審査部長の把握するところとなつていたことが認められるのであるが、かかる事情のもとで、一日か二日過振り額を減少させることにより、本部の目をごまかすことができると被告人中村が考えたとは、いささか信じ難いところである。第二に、昭和五〇年二月五日の減少謀議に関する限り、いわゆる事後検査が行われた形跡がないことである。事後検査をごまかすために工作をするのであれば、当然事後検査があることが前提でなければならないし、過振額の減少する日が検査当日ないしその前日と一致しなければ意味がないことも見易い道理であるが、取締役銀座支店長である被告人中村が、事後検査に関する虚偽の情報に踊らされたというのも、いささか理解し難いことがらであるといわねばならない。第三に、右二月五日及び一五日の過振り額の減少が、果して被告人中村の特別の要請が因となり、これに応えた被告人福田の努力が果となつて、人為的に作出されたものであつたと認めてよいかについて疑問があることである。なんとなれば、被告人福田が右二回の謀議にもとづき、過振額減少工作の具体的手段としてなした行為は、同被告人の検察官に対する供述調書によれば、単に高利金融業者から融資を得て、これを港信用金庫三光町支店の八重州食品の口座に振込み、過振りの見合小切手を決済したというに尽きるのであつて(52・12・21付七項、52・12・22付一項)、これは被告人福田が毎日のようにやつていたことにほかならず、直接過振額の減少に結びつくべきものではないからである。特段の事情のない限り、過振り額を減らすためには、東京相互銀行銀座支店の八重州食品口座に決済資金を入金するか、支払のために交換呈示される小切手を少額にするかしなければならないのに、福田調書にはかかる手段を講じたこと、ないしは右特段の事情の存在に関する記載は何らなされていないのである。加えて、右二月一五日の減少工作についての同被告人の検察官に対する供述調書の記載には、被告人福田が振込み入金に努力した期日と過振額が減少した期日との関係で、時間的に褄が合わない点があることも指摘しなければならない。すなわち、同被告人は、同年二月一二日に四七八万円、同月一八日に八五〇万円、同月一九日に一〇〇〇万円いずれも村本弘から借りた預手を港信用金庫三光町支店の前記口座に振込んだというのであるが、一八日及び一九日の振込みが一五日の過振り額減少と結びつかないことは明白である。むしろ、このように何回にもわたり同被告人が同種の行為を繰り返していることは、このことが同被告人の日常的行為であつたことを示すものといえよう。第四に、同年二月一五日の過振り額については、そもそも同日の過振額が実際に二三三万円余に減少したといえるかについて疑問の存するところである。すなわち、司法警察員作成の捜査報告書(52・12・2付)添付の一覧表によれば、右二月一五日(土)には二三三万六二一八円の過振りのほかに一二〇〇万円という多額の看做金額があり、かつ同月一七日(月)には同額の当日過振他店券が計上されていることが認められるところ、司法警察員作成の捜査報告書(52・10・24付)添付の当座取引内訳表によれば、これは八重州食品振出、支払人東京相互銀行銀座支店とする額面一二〇〇万円の小切手が村本弘の裏書により富士銀行九段支店から同月一五日に支払呈示されて、いつたん看做し扱いにされた上で、同月一七日に八重州食品振出、支払人港信用金庫三光町支店とする額面一二〇〇万円の自振小切手を見合いとして過振り扱いに切替えられたためであると推認されるのであるが、東京相互銀行銀座支店では、見合他店券が当日の交換持出時限以降に入金された場合等には、過振り扱いにしても見做し扱いにしても当面の効果は同じであるので、他店券過振りの場合でも看做し扱いにして、看做し日報に記載する便宜的取扱いをしていた事実のあることを勘案すると(証人竹田義夫の当公判廷における供述、第一七回公判)、右二月一五日の一二〇〇万円の看做しは、実は他店券過振りであつた可能性が大であると判断されるのであるが、そうであれば同日の過振金額は一四三三万余円の多きにのぼるわけである。第五に、被告人中村の捜査官に対する供述調書には、過振額の減少を無差別に人為的工作の結果と説明する不自然な傾向のみられることである。同被告人の司法警察員に対する52・12・17付供述調書一二項によれば、昭和四九年一二月二八日に過振額が四一万九八二円となつたのも検査を慮つて減少させたものであるとされているが、これは関係証拠に照らし容易く措信し難いものがある。

以上の諸点に照らすときは、過振り額減少謀議を記載した被告人中村の自白調書及びこれと軌を一にする被告人福田及び竹田義夫の検察官に対する各供述調書は、その信憑性に瑕疵があると言わざるを得ず、採用するに由なきものである。

また、被告人両名の自白調書及び右竹田の検察官に対する供述調書には、被告人福田が被告人中村に歳暮を贈つたこと、被告人両名の間で身の上話などの個人的な雑談が取り交されるようになつていたこと、被告人中村が本店検査に当つた検査部員に対し調査結果の表現に手心を加えるよう要請したことなどの記載もあるけれども、被告人中村の動機の判断に当りこれらの記載を重視することは、木を見て森を見ざるの弊に陥る虞れあるものと考える。

以上の次第で、結局、被告人中村の動機に関する自白は採用できないのである。

(二) また、被告人福田の検察官に対する供述調書(52・12・21付、52・12・22付)には、昭和四九年一二月以降は、被告人中村が被告人福田を恐れている様子は全くなくなり、同月の過振りはさして深刻なものでなかつたので、過振りを減らせという要求はなかつたところ、同五〇年一月には、被告人中村と被告人福田は、性格的に似通つたところもあつて、互に情がわいたような状態となつて、同五〇年二月以降過振りが深刻となつてからも、被告人中村は今まで大目に見て来た過振りを急に打切ることは感情的にできなかつた、すなわち、同被告人は、被告人福田に対する好意で過振り等の特別扱いをしてくれていたのである、という趣旨の記載がある。右二通の調書を通読すると、被告人中村は唯唯諾諾と本件一連の過振りに応じ、その間三回だけ、しかも本店の目をごまかすために一時的に過振りを減らすよう被告人福田に頼んだだけであるという印象を受けるのであるが、これは前掲各証拠に照らして措信できないし、また常識的に考えても、人間の心理としては、相手方に対する恐怖心から或る重大な不本意な行為の継続を余儀なくされていた場合に、恐怖感から開放されれば、まずその不本意な行為をやめるのが普通であつて、漫然その行為を継続したり、或は逆に相手方に対する好意から自発的にその行為を続けるというが如きは、殆んどあり得ないことと断定して誤りないと思料されることからしても、被告人中村が過振りを続けた動機として当裁判所を納得せしめるものではない。

3 動機に関する結論

上記の事情を慎重に検討しつつ、被告人中村の動機を考察すると、同被告人は被告人福田に対する恐怖心から本件一連の過振りを始めたが、同被告人の露骨な脅迫行為が影を潜めた後も、被告人福田に対する潜在的恐怖感と債権回収の義務感とのはざまにあつて、一方では不渡処分による不利益の圧力に頼りつつ、他方では融資の可能性を匂わせながら、同被告人をして自発的に過振りを消滅せしめようと試み、時には口実を設けても過振りの消滅を慫慂していたのであり、事後検査云々などということもその一つであつたにすぎないと判断される。被告人福田もまた、被告人中村の口実を真に受けて過振り消滅のために真摯な努力を尽したことなどはなかつたものの、最終的には融資を希望したことから、時には過振りを自粛するなどし、両者間に虚虚実実のかけひきが行われていたというのが事の真相であつたと思われる。したがつて、被告人中村としては、右の説得の結果過振り額が零にならなかつたことをもつて、過振り解消に関する被告人福田の経済的能力に絶望的評価を下すことはなかつたと思料され、むしろ、諸諸の要因が絡み合つて過振額は増減しており、かつ、見合小切手は決済されていたのであるから、過振り解消の期待を持つていたとみるのが相当である。

二  図利・加害目的の検討

以下本件公訴事実にかかる、昭和五〇年二月一八日以降における、すなわち本件過振りに関する被告人中村の主観的犯罪要件のうち、図利・加害目的の存否について検討する。

この点を検討するに当り注意すべき点は、本件過振りは独立した過振りとしてなされたものではなく、本件一連の過振りの一環としてなされたもの、すなわち連続過振りの一部であるということである。そして、前記のところから明らかなように、本件一連の過振りは、被告人福田の脅迫的言動に強要されて始まり、以後被告人中村は、前記恐喝の際における将来にわたり融資の相談に応じる旨の約束を基本的前提におかれた状態で、かつ東京相互銀行を巡る前記異常な状況の中で、いわゆるブラツクジヤーナリズムや防共挺身隊の街頭活動などに象徴される被告人福田の隠然たる勢威におびえつつ、八重州食品振出しの小切手類を不渡りにした場合に予想される、同被告人の報復により東京相互銀行の信用が毀損される虞れと、前記恐喝にかかる一五〇〇万円の貸付金の回収が滞る虞れとを勘案し、連続過振りを続けて昭和五〇年二月一八日に至つたものである。かくの如く、止むを得ざる事情から発生した既成事実たる連続過振りがある場合に、銀行支店長に要請される職務は当然かかる事態の収拾ということになるわけであるから、図利・加害目的の判断に当つても、いかにすれば銀行の損害を最も少くして右連続過振りを収拾し得るか、という見地からこれをなすべきであると思料される。しかるときは、本件一連の過振りにおいて、被告人中村の選択し得る収拾策は〈1〉連続過振りを続けて被告人福田が過振りを解消させるのを待つか、〈2〉不渡りを出して過振り残額を貸付に切り替えるか、〈3〉福田の要求に応じ貸付をして過振りを解消するか、のいずれかであつたと考えられるところ、被告人中村は、既に見たように右二月一八日以前において右〈1〉の方法を採用していたのである。これに対するに、右〈2〉の不渡りを出す方法は、前記のように過振りなるものは見合い他店券が決済されている限り銀行に実損を生じさせないこと、不渡りを出すことは八重州食品の倒産と大丸における営業の停止を意味すると常識的に解されるところ、被告人福田は資金繰りに苦しんでいたとはいえ、否むしろそれ故にこそ大丸における営業が貴重な経済資源であつたと認められるから、これを失わしめることは被告人福田に大きな打撃を与えることであり、それだけに同被告人の反撥を招いたであろうことを考慮すると、本件の具体的事情のもとでは、この段階で一方的に不渡りを出して八重州食品を倒産させ、かつ前記恐喝にかかる一五〇〇万円及び過振り残額の回収を不能ならしめる(銀行に実損を発生させる)のが得策であつたかどうかは俄に断じ難いところであるし(因に被告人福田の当公判廷における供述((第二〇回公判))によれば、同被告人は八重州食品が昭和五〇年四月に不渡りを出した後、株式会社大丸の営業部長、東京店次長などと交渉して、八重州食品の大丸における営業を継続せしめることに成功したことが認められるけれども、この事実は被告人中村の見通しの誤りを示すというよりは、むしろ被告人福田の隠然たる勢威の一端を示すものと評価すべきであろう。)、また右〈3〉の貸付に応じる方法は、担保を徴さない限りまさに被告人福田の思うつぼに嵌ることであり、安易なやり方であると同時に銀行の利益を図るものとは言い難いところである。これらの事情を総合して考察すると、被告人中村が右〈1〉の方法を採用したのは、前記の制約された状況下において、なんとか東京相互銀行の信用を失墜させずに過振りを解消し、貸付金も回収しようとしたための止むを得ざる方策であつたと評すべく、結局同被告人の主たる目的は東京相互銀行の利益をはかることにあつたと判断される。そして、右二月一八日以前の段階において被告人中村が過振り解消の期待を持つていたと認めるべきことは前記したとおりである。もつとも、前記のとおり本件一連の過振りの発端は被告人福田らの被告人中村に対する恐喝に遡るところ、被告人中村は既にその当時から八重州食品が経済的にも新規融資の相手方として好ましい取引先ではないことを認識していたと認められるが、八重州食品ないし被告人福田が新規融資不適格者であつたとしても、そのことが直ちに現在行われている連続過振りを解消することの不可能であることを意味するものとも断定できないし、被告人福田の個人的資金操作には被告人中村にとつて端倪すべからざる所もあつたと認められるから、被告人中村が過振りの解消に期待をかけたことを一概に不当と難ずることもできない。また、被告人中村が本件一連の過振りに対して担保を徴さなかつたことも事実であるが、これは前認定のように、連続過振り中に担保をとることは、過振りの容認に連なることを警戒したためであると認められる。右の事情は昭和五〇年二月一八日以降も変化なく引続いて存在したと認められるから、本件過振り(即ち本件公訴事実たる過振り)の当初において、被告人中村に図利・加害の目的がなかつたことは明らかである。そして、その後、同年二月二〇日からは見合小切手の一部に依頼返却が始まつたため、被告人中村において過振り解消の期待を放棄し、三五〇〇万円につき貸付けに切り替えようと考えそれに見合う担保を徴求すべく、いわば前記〈1〉の方針から〈3〉の方針にやむなく方向転換した経緯があることは前記のとおりであるが、右二〇日以後の時点において同被告人の主観的意図に変更があつた事実、すなわち新たに図利・加害の目的が発生した事実はこれを認めるに足りる証拠はないのである。確かに、松原茂の司法警察員に対する供述調書(52・11・16付)、証人竹田義夫の当公判廷における供述(第一八回公判)によれば、被告人福田が提供した担保物件の担保価額は終局的に債権総額一億八〇〇万円(前記恐喝にかかる貸付一五〇〇万円を含む)に対して四二二一万円と大蔵省検査官によつて評価される程度のものに過ぎず、債権額の一部を担保し得るに留まるので、銀行の担保価額の評価方法が厳しく(東京相互銀行の場合、時価の五六%)、かつ、本件のように既に債権が発生した後に担保を徴する場合には通常の貸付の場合のような担保徴求は望めないことを考慮しても、被告人中村が前記三五〇〇万円の貸付を決意した時点において、近い将来における過振り残額の急激な増加を予測できなかつた判断の誤り(若し予定どおり三五〇〇万円の貸付で過振りが解消できていたら、右担保価額に照らしてまず適切な処置であつたと評価されたであろう。)、及び被告人福田を最後まで信用しすぎた判断の誤り(これは恐らく被告人中村が、都市銀行たる三井銀行出身で、被告人福田のような顧客の扱いに慣れていなかつたことも原因をなしていると思われる。)を犯したことは否定できないであろう。しかしながら、右の判断の誤まりから、結果的に東京相互銀行に損害が発生したとしても、そのことをもつて直ちに同被告人に特別背任の罪の要件たる図利・加害の目的があつたとして刑事責任を負わせることのできないことはいうまでもない。

三  結  論

以上の次第であるから、結局被告人中村が本件過振りをなした主たる目的は東京相互銀行の利益を図ることにあつたというべく、八重州食品を利し又は東京相互銀行に損害を加えんと図つたものと認めることはできない。したがつて、同被告人について特別背任罪は成立しないというべきである。

第三  被告人福田の背任罪の成否

右に見た如く、被告人中村について商法四八六条一項の罪が成立しない以上、同条所定の身分を有しない被告人福田についてその罪が成立しないことは当然であると思料される。

第四  結  論

以上の次第で、被告人中村、同福田には、商法違反の公訴事実につき犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条にしたがい右の事実につき無罪の言渡をする。

(量刑の理由)

本件恐喝は、被告人平田が従来から東京相互銀行銀座支店に対し過振りを強要していたところ、たまたま見合他店券として持込んだ八重州食品振出しの小切手を同支店で紛失されたことを奇貨として、被告人平田は暴力団系総会屋としての、被告人福田は右翼活動家としての、それぞれ威力を示し、殊に被告人平田は当時執行猶予中であつたにも拘らず、中村銀座支店長を喝して一五〇〇万円の融資をさせたものである。更にそれに引き続いて、被告人平田は約一九〇〇万円の連続見做しを強要し、被告人福田は前記のように長期にわたり本件一連の過振りをさせたものであつて、犯情悪質である。また被告人亀卦川は、東京相互銀行の幹事総会屋として、究極的には銀行の利益を図る主観的意図からとはいえ、被告人福田、同平田の意を迎えて中村支店長恐喝に加担したものであつて、本来かかる総会屋的解決方法というものが法秩序の上から許されないものであることに照らし非難されなければならない。しかしながら、被告人福田は、右喝取にかかる一五〇〇万円の借受金を昭和五〇年一月から毎月四〇万円ずつ二九回返済しており、本件で同被告人が逮捕された当時には既に元本残額は三四〇万円となつており(利息は別途に支払われている。)、被告人福田が右一五〇〇万円の恐喝にあたり差入れた担保物件の担保価は五九六万五〇〇〇円と評価されているので、結局、恐喝につき銀行の損害は全額回復された形になつていること、本件公訴提起後担保物件を競売に付されるなどして四五六九万一五四三円を同銀行に弁済していること、などを考慮すると、この際同被告人を実刑に処することはやや酷に過ぎると思われるので、これを懲役三年に処し長期間刑の執行を猶予するのを相当と認める。なお本件恐喝にあつては、被告人福田をいわば主犯格と認めなければならないので、被告人平田についても、被告人福田に対する量刑に準じるほか被告人亀卦川は上記の主観的意図から犯行に加わつた事情があるので、それぞれの情状を考慮して相当期間刑の執行を猶予することとする。

よつて主文のとおり判決する。

(別紙) 過振り推移表

49年11月 八重州食品(株) No.1

〈省略〉

49年12月 八重州食品(株) No.2

〈省略〉

50年1月 八重州食品(株) No.3

〈省略〉

50年2月 八重州食品(株) No.4

〈省略〉

50年3月 八重州食品(株) No.5-1

〈省略〉

50年3月 八重州食品(株) No.5-2

〈省略〉

50年4月 八重州食品(株) No.6

〈省略〉

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